2010年 10月 21日
生まれてきたのね |
ずっと書けませんでした。
そらちゃんを忘れていたわけではありません。
でも確実にあれから時が過ぎました。
そらちゃんを産んだあの日。
先生に電話をしたら、いまからすぐ来て下さいと言われ、タクシーに。
病院について先生が診察してくださいました。夜中の二時半。
そして内診が終わり、旦那さんと診察室の机について、
先生が思い口を開きました。
「残念です。」と。
「赤ちゃんは・・・?」
と私が聞くと、先生がちいさな銀色に光るぼんのうを向こうから持ってきました。
その中にガーゼがひかれて、ちいさな赤ちゃんが横たわっていました。
赤ちゃんは真珠色ですごく綺麗でした。
わ~っと涙が知らず知らずのうちのこぼれて来ます。
と同時に
隣にいた旦那さまが、
「わ~ん」と嗚咽しながら泣きました。
旦那さまが泣くのを私ははじめて見ました。それもこんな大声をあげて、子どものように素直に泣いているあのひと。
だから、私は声をあげて泣けませんでした。
そんな悲しみの中でも冷静なわたしがいました。
一生懸命この現実を理解しようとしていました。
ボロボロ涙はこぼれます。
でもしっかり目を開けて、ぼんのうの中を見ます。
真珠色の手のひらに乗りそうな赤ちゃんは、まぎれもなく人間で、
そして真珠色の皮膚の下には、ちゃんと大腸がくるくると綺麗な螺旋を描いてできていました。
指は細く長く、そして可愛らしく。
鼻もわかります。目は閉じていて菩薩様のよう。
穏やかな顔をしていました。
男の子か女の子か?それはわかりませんでした。
ただおまたのところからちょっと尻尾みたいなのが出ていたので、
これが成長してゆくとおちんちんになったり女の子のになったりするのです。
でも私は直感で男の子だと思いました。
そおっと指で触りました。
まだ温かかった。冷たいぼんのうに入れられて、でもガーゼがまるでお布団ひいてくれたようで、
先生の温かさを感じました。
後から思うと、
その時、生まれてきたのだから、
手に抱いて抱きしめてあげればよかった。
自分はどうしてそうできなかったのか・・・いまでは少し後悔しています。
怖かったのかもしれません。
壊れてしまいそうで怖かったのか。
赤ちゃんと対面して、
先生に私はどうしたらいいのか?聞きました。
そんなこと聞いても先生もわからないでしょう。
でも、
先生は、
「これはお母さんのせいとかではなくて、何らかの異常がこの子にあって、いま生まれてきたということなんです。」
「だから、いつも赤ちゃんを頭で感じてあげたらいいし、いつも一緒にいる気持ちで日々をすごして ゆけばいいんです。」
とおっしゃった。
この病院はキリスト教の病院で、
先生はいのちの生まれる場において、なるべく何も医者がしないほうがよいということを知っておられます。それはキリスト教の精神からなのかな?
と思ったり、
また少し悟ったこともおっしゃったりします。
でもでも、私は、先生がおっしゃる意味がその時はわかりませんでした。
いまとなってはわかるのですが、
まだ
その域にはいなかったのです。
ただただ悲しくて悲しくて、
私のどこがいけなかったのか・・・これからどうしていったらいいのか・・・
そればかりが頭に立ったのだと思います。
先生は、「手術などはしません。
そうはの手術(子宮内に器具を入れて掻きだす)をするところもありますが、
私は自然なほうがいいと思いますし、
胎盤が出てくるのを待ちましょう。そのほがよいですから。」
「あとで赤ちゃんは病室にお連れしますから。」と先生は言って、
私は病室に入院になりました。
立ったら、めまいがしてもう私の顔は血の気がありませんでした。
貧血でした。
車いすを看護婦さんが持ってきてくださり、
それに乗って婦人科の病室に入院になりました。
病室で採血されたその針の痛さ。チクリチクリを心を刺しました。
そして子宮収縮剤を飲みました。
胎盤はまだ私のお腹の中にありましたから。
そらちゃんを忘れていたわけではありません。
でも確実にあれから時が過ぎました。
そらちゃんを産んだあの日。
先生に電話をしたら、いまからすぐ来て下さいと言われ、タクシーに。
病院について先生が診察してくださいました。夜中の二時半。
そして内診が終わり、旦那さんと診察室の机について、
先生が思い口を開きました。
「残念です。」と。
「赤ちゃんは・・・?」
と私が聞くと、先生がちいさな銀色に光るぼんのうを向こうから持ってきました。
その中にガーゼがひかれて、ちいさな赤ちゃんが横たわっていました。
赤ちゃんは真珠色ですごく綺麗でした。
わ~っと涙が知らず知らずのうちのこぼれて来ます。
と同時に
隣にいた旦那さまが、
「わ~ん」と嗚咽しながら泣きました。
旦那さまが泣くのを私ははじめて見ました。それもこんな大声をあげて、子どものように素直に泣いているあのひと。
だから、私は声をあげて泣けませんでした。
そんな悲しみの中でも冷静なわたしがいました。
一生懸命この現実を理解しようとしていました。
ボロボロ涙はこぼれます。
でもしっかり目を開けて、ぼんのうの中を見ます。
真珠色の手のひらに乗りそうな赤ちゃんは、まぎれもなく人間で、
そして真珠色の皮膚の下には、ちゃんと大腸がくるくると綺麗な螺旋を描いてできていました。
指は細く長く、そして可愛らしく。
鼻もわかります。目は閉じていて菩薩様のよう。
穏やかな顔をしていました。
男の子か女の子か?それはわかりませんでした。
ただおまたのところからちょっと尻尾みたいなのが出ていたので、
これが成長してゆくとおちんちんになったり女の子のになったりするのです。
でも私は直感で男の子だと思いました。
そおっと指で触りました。
まだ温かかった。冷たいぼんのうに入れられて、でもガーゼがまるでお布団ひいてくれたようで、
先生の温かさを感じました。
後から思うと、
その時、生まれてきたのだから、
手に抱いて抱きしめてあげればよかった。
自分はどうしてそうできなかったのか・・・いまでは少し後悔しています。
怖かったのかもしれません。
壊れてしまいそうで怖かったのか。
赤ちゃんと対面して、
先生に私はどうしたらいいのか?聞きました。
そんなこと聞いても先生もわからないでしょう。
でも、
先生は、
「これはお母さんのせいとかではなくて、何らかの異常がこの子にあって、いま生まれてきたということなんです。」
「だから、いつも赤ちゃんを頭で感じてあげたらいいし、いつも一緒にいる気持ちで日々をすごして ゆけばいいんです。」
とおっしゃった。
この病院はキリスト教の病院で、
先生はいのちの生まれる場において、なるべく何も医者がしないほうがよいということを知っておられます。それはキリスト教の精神からなのかな?
と思ったり、
また少し悟ったこともおっしゃったりします。
でもでも、私は、先生がおっしゃる意味がその時はわかりませんでした。
いまとなってはわかるのですが、
まだ
その域にはいなかったのです。
ただただ悲しくて悲しくて、
私のどこがいけなかったのか・・・これからどうしていったらいいのか・・・
そればかりが頭に立ったのだと思います。
先生は、「手術などはしません。
そうはの手術(子宮内に器具を入れて掻きだす)をするところもありますが、
私は自然なほうがいいと思いますし、
胎盤が出てくるのを待ちましょう。そのほがよいですから。」
「あとで赤ちゃんは病室にお連れしますから。」と先生は言って、
私は病室に入院になりました。
立ったら、めまいがしてもう私の顔は血の気がありませんでした。
貧血でした。
車いすを看護婦さんが持ってきてくださり、
それに乗って婦人科の病室に入院になりました。
病室で採血されたその針の痛さ。チクリチクリを心を刺しました。
そして子宮収縮剤を飲みました。
胎盤はまだ私のお腹の中にありましたから。
by favoritemoon
| 2010-10-21 11:56
| つぶやき